大きく体調を崩して約4年。現在は体調も回復し、以前よりも自分の扱い方を理解しました。この4年間を振り返ると、当たり前は当たり前じゃない。そう痛感します。
病気になってよかったとは思わないですけど、病気になってよかったと思える過ごし方はできたんじゃないかな…と。価値観も大きく変わりました。
今回は、
当たり前は当たり前じゃない
と思う日々が数年続いたので、変化した考えについてお伝えします。
今回の記事の内容
当たり前が当たり前じゃないと感じた4年間
先日書いた記事でもお伝えしましたが、僕は4年前から機能性低血糖症の症状がひどくなりました。診断を受けたのは、約1年前。
人間ここまで崩れるのか、というぐらいあらゆる不調に悩まされました。
悩まされた症状
悩まされた症状は、以下の通り。
・何をするにも常に不安感がつきまとう
・自分が壊れるんじゃないかという恐怖感
・呼吸ができなくなったらどうしようという不安
・動悸や心臓の痛み
・急に汗が出たり、寒気がする
・目がかすんで見えにくい
・自信がなくなり、希望が持てない
・すぐに疲れてしまう
・言葉が出にくく、呂律も回りづらい
・何をするにもあまり楽しくない
・嚥下障害、物が飲み込みづらい など
細かい症状をあげればもっとあります。
とにかく当たり前だった日常の景色が、全く別物になってしまったんですね。
普通に過ごしたい
こんな不調の中で心の底から思ったのは、
普通に過ごしたい
という想い。
“普通”というのは曖昧な表現ですが、今までやってきた当たり前のことを当たり前にしたかった。
・何も考えず呼吸をしたい
・何も気にせず仕事をしたい
・好きなものをおいしく食べたい
・楽しく会話したい
・家族とだらだら過ごしたい
・いろんなことを楽しみたい など
お金持ちになりたいとか、高級車に乗りたいとか、そんなんはいいんです。ただただ、不調から解放されて何も気にせず過ごしたい。その一心でした。
得られた大切なこと
当たり前が当たり前じゃなくなると、当たり前だったことがありがたく感じるんですね。
・自然に呼吸できるのは幸せ
・筋トレができるのが楽しい
・ボーっと歩けるのが嬉しい
・仕事があるだけでありがたいこと など
大げさじゃなく、全部ありがたく、大切な時間になった感じがします。些細なことでも感謝できる今が本当に幸せに感じます。
「当たり前は当たり前じゃない」と変化した価値観
自分の考え、価値観も変わりました。
今ある幸せに気づく
今までは、もっと幸せになるために常に何かを追い求めていました。でも今は、
・家族と過ごす時間が幸せ
・仕事が充実している幸せ
・自由に体を動かせる幸せ など
今の幸せを見れるようになりました。
欲もなくなったし、ほしいものも全然ない。自分が求めていたものは、すでに周りにあったんですね。
残りの人生を真剣に考える
以前から人生については考えていました。ただ、不調で苦しんだからこそ真剣に考えるようになりました。
時間は有限。本当に自分が求めていることに時間を使おうと、改めて思いますね。
休み休みでいい
これが最も変わった価値観かもしれません。今までは、とにかく突っ走る。その結果、体調を崩してしまった。
休み休み、余裕をもっていろんなことに取り組む。それが今の価値観。視野が狭くならないし、生産性も上がる。いいことばかり。
気持ちも余裕が持て、体調もいい。とはいえ、まだ少しやりすぎるところがあるのでここの調節は必要ですかね。
最後に
5歳のときに、おかんが家出。ある意味、伊藤家は当たり前が当たり前じゃなかった。(詳しいことは、以下の記事をご覧ください。)

人生はさまざまであり、価値観も生き方も違う。正解もなければ不正解もないと思います。死ぬ直前に「後悔のない人生だった」と思えれば、それは大成功と言える人生かもしれません。 僕は現在36歳、71歳になったおかんを見ていると、すごく年をとったなと思うと同時にいろんな感情が出てきます。なぜなら、“普通...
だけど、そのたびに成長する種をもらったと思っています。今回の不調も、結果的には多くの学びがありました。
「栄養」「休息」「生き方」など、身をもって学べた。この経験が少しでも同じ悩みを悩みを抱える方の参考になれば嬉しいですね。最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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